日記20231015

ずいぶん間が空いた。前回「ゴールデンウィークは新文芸坐に何回か行く予定である」と書いたところで終わっていたが、実際のところゴールデンウィークは、予告通りに数年ぶりの風邪をひいて終わってしまっていた。その一か月ほど後にまったく同じ症状の風邪を繰り返し、そんな感じで今年の前半は過ぎてしまい、暑く長い夏を迎えた。9月頭には数年ぶりにコミティアに参加したのでその話でもしようかと思ったけど、今日は別の話なのでまた今度。

映画『月』(2023)

10月13日公開、映画「月」オフィシャルサイト

原作を一応読んだ(直前にざっと読み返した程度の浅い読者)ので、所謂「賛否両論モノ」であろうことをわかったうえで鑑賞。
そもそもの事件についての自分の意見は、ごく普通のもので、しかし安い言葉しか出せない。のでそこに関してよりも、以下映画として気になったところの列挙。

ドッテテのおじさん

アクセントが思っていたのと違った!

宮沢りえ演ずる主人公“洋子”

ちょっと、いっぱい、喋るなあ…と正直思った。でも自分が、よくしゃべるフィクションに対してアレルギー持ちなだけで、意外に(言葉を選ばずに言うと)おばちゃんってこういうものだよな、という感じもする。あれ、なんなんだろう。自分もいずれああいう喋りになるのだろうか…
夫のオダギリジョーはいつもの上手なオダギリジョーだった。

少し脱線すると、自分がかなりの高齢出産で生まれた身でしかしそこそこ健康に育ち、だが当事者になる予定はないという立場からするとこの手の話がピンとこない。親にそのへん、葛藤とかあったのかとかを聞いておいた方が、良いんですかね…どうなんだろう。

オダギリジョーの同僚の嫌な感じのおとこ

なんかいかにもこの手の邦画って感じの登場人物だけど…意外にも(?)セリフは原作をなぞっていたりする。

二階堂ふみ演ずるもう一人の“陽子”

一番とっつきにくいというか、消化が難しかったところ。一瞬赤いワンピースを着ていた?ので、原作の「ハナ」?と思ったけどそういうわけでもなさそう。原作ではところどころで「赤」が強調されていたのかな?と思うのだけど、彼女の場合は勢いよく飲み干していたワインこそがその象徴だったのだろうか。意味深なズームアップ。主人公夫婦には特に赤要素無かった気がするので関係ないかも。

消化が難しい、と思ったのは、この映画が終わったあと、彼女がどうするか?がわからないというか宙ぶらりんな印象だったため。パンフレット内で「4人はそれぞれがミラーになっている」とあったが、終盤で「さとくん」は事を起こし、主人公とオダギリジョーには痛々しくも希望が残され(と思いたい)、しかし事件を直接目撃していた彼女、陽子は……???

と考えると、冒頭で示され、作中で陽子自身も触れていた旧約聖書のコヘレトの言葉を思い出してしまう。

先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。

つまり彼女もまた「さとくん」のような凶行を、おそらくは作中で描かれた身近な者たちに対して起こしてしまう可能性が、あるのでは…というのは悲劇的な見方だろうか。宗教二世であるとか、小説のコンテストに落選するとか、そういった描写から近年起きた他の事件たちの影を彼女に見たせいかもしれない。

主人公夫婦たちは回転寿司を好んでいたけど…これは違うよねペロペロ

登場時は良い人っぽいふるまいをしていたが、眼が、顔が怖い。強烈に印象を残す。クソ適当な言葉を使えば「今作の推しキャラ」なので、そのあたりの掘り下げをもう少し知りたかったが、パンフレットにも特に情報がなく残念に思った。世間では忘れられようとしている事件について真摯に向き合ったインタビューや寄稿文は価値あるものだが、それとは別にフィクションとして作られた物語の背景部分ももう少し見たかった。

きーちゃん

原作未読勢には信じがたいだろう、原作の語り手。
きーちゃんの怒涛の語彙で読み進めた者からすると、映画版は「もうちょっとよく見せてや」という程度にしか映してくれないのだけど…。
いつの間にか、広い部屋にポツンと置かれたベッドのような、少し絵になる感じを想像していたのが現実だとああなんだな、という悲しさ。
なのでほぼ寝ているだけといってしまえばそうかもしれないけど、このきーちゃんを演じられた方の言葉を聞いてみたかった。

さとくん

あれ?これがそう??というぐらい、初期は朗らか。「実際の人物をなぞるよりも、ごく普通の人として書きたかった」とのことで少し納得したけど、それにしては少し、現実に引きずられているような……個人的には大麻描写は無くてもよかったかなと思う。

恋人との青春じみた抱擁と「今夜、殺すよ、障害者たちを…」のシーン、嫌になるぐらい印象的。漫画だったら切り抜かれてTwitterに転載されるであろう。

コラ~!SNS脳はやめろ~!
ていうか今予告編見たら大々的にそこ使ってたわ

現実そんなものかもしれないのだけれど、普通の人→殺人者 になる過程がちょっと急に感じた。また主人公がそれを察知したことも。でも先述の通り、主人公たちは皆ミラーとのことなので、反射や共鳴のようなものなのだろうか。たまたま光が屈折してしまったのが彼だというだけで。

加藤伸吉?

劇中絵(さとくんの紙芝居)、クレジットによると「加藤伸吉」とのことだけど、それってあの加藤伸吉?詳しくないので識者求む。

https://www.tsuki-cinema.com/wp-content/uploads/2023/08/isomura1-min.jpg
https://www.tsuki-cinema.com/

まとめ

星の数とか数字で映画を評することはしないけど、個人的には「大傑作というほどではない」ぐらいの位置づけかな。そもそも面白かったとか感動したとかいう題材でもない。こういったものは作られて、残っていくこと、語られていくこと自体に価値がある。共感100%、号泣間違いなし、超エンタメ、SNSで話題、海外の反応、考察班、ガチ勢、応援上映、原作通り、聖地巡礼、ゲスト声優、コラボイベント、そんな言葉たちに縁が無い映画でも、どうか今後も存在できますように。面白かったからぜひ見てね、なんて言えないけど、誰かとこういう映画の話ができればうれしい。

色々な意見が出ると思うが、石井裕也監督の「彼に共感してしまう者が出てくるリスクよりも、その問題を認識して検証を続けていくことの価値を優先した」という考え方を支持したい。安直に結論付けて終わらせるよりも、問いを続けたほうが良いことというのは沢山ある(というか、ほぼすべてがそうと言ってもいい)と思う。そういう余裕がまだこの世界にあれば、いいけど、……どうかな。

「だから、なにかを取りもどすというよりも、ぼくはむしろ、いま、われわれは蒼ざめて立ちすくみ、これまでのわれわれの内面の変化を見直し、再検討する必要があるのではないかとおもうのです。」…辺見庸『しのびよる破局』より。おわり。

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